「ドラえもん」や「オバケのQ太郎」などは、少年達の小さなコミュニティに小さな異分子が闖入し定住することのドタバタ(と日常)を描いた漫画である。「忍者ハットリくん」も同様にみえるが、それらとの差異をいえば、ハットリ君は最初こそ、ドラえもんと同様、一般家庭の「居候」だが、やがてケン一氏のママに食費の「支払い」を申し出る(3巻「忍法『小判ほり』」の巻)。このときのママの返答が泣かせる。「ハットリくんそんなこというとおこるわよ あなたたちはいまではうちの子よ!」と怒っていうのだったが、この対応には後述の「孝行される」側の人々の反応と共通した、当たり前のものとしての優しさがある。
物語後半、ハットリ君の(生みの)両親が伊賀の里からやってくる。
彼らは不動産屋を回った末、ケン一氏の隣に引っ越す(このときの支払いは札束ではなくて小判だ)。
読者にとってのヒーローが、いつも隣に住む仲間になったのだ。その後もハットリ家は「塾」の「経営」を画策する。
食費。不動産。支払い。経営。藤子Ⓐは「現実」世界の経済的ルールの中に、忍者という『ファンタジー」を同居させようと腐心した(なお、ファンタジー的なキャラクターが現実世界で「経営」による定住を模索するのは、後期作品の「ビリ犬なんでも商会」(89年)でもなされている)。
そういった動きのせいで(つまり、両親も含め登場人物が増えすぎ、隣家や塾という「場」も広がったせいで)「心地よいマンネリ」を失った感のある連載は、この後少しして終了してしまう。だが、ファンタジー的に特権を持つ(働かなくてもいいはずの)人物たちが現世的な経済的自立を指向しはじめるのは、いざというときのために懐に五万円を隠し持っていたハットリ君の場合、当然の流れだったのかもしれない。
ブルボン小林「現金漫画としての藤子不二雄Ⓐ論」(via スポンジスター) (via mnknst) (via honeydip5123)
2010-07-06 (via yasaiitame) (via darylfranz)
2010-07-06 (via yasaiitame) (via darylfranz)